もう一つの”私”
楽しかった一日が終わって、
一緒にいた人たちと別れるとき。
帰り道、
なんとも言えない寂しさが残っていました。
「楽しかったな」
「また会いたいな」
「でも終わっちゃったな」
そんなふうに、気持ちが揺れていて。
少し前の私だったら、
この寂しさをどうにかしようとしていたと思います。
「考えすぎかな」
「こんなことで落ち込むなんて」
「切り替えなきゃ」
そんなふうに、
気持ちを整えようとしていました。
でもそのときは、
少し違う感覚がありました。
寂しい気持ちもあるし、
楽しかった余韻もあるし、
まだそこにいたい気持ちもある。
その全部が、同時にあるまま、
「ああ、こういう感じだな」と思えている感覚。
そしてその奥で、
「いいよ、いいよ。
ちゃんと感じてるね。
今、ちゃんと流れてるね」
そんなふうに受け止めている感覚も、
一緒にありました。
自分の家族の言動に、
思わずイライラしてしまったときも、
思うように仕事がうまくいかなくて、
苦しくなったときも、
同じように、
「イライラしてるな」
「悔しいな」
「うまくいかないな」
という“私”の動きと、
それをそのまま見ている“ワタシ”が、
一緒にいる感覚があります。
どちらかを消そうとするわけでもなく、
どちらかを正しいとするわけでもなく、
ただ、そのまま見ている。
これは特別なことではなくて、
いろんな気持ちや感覚を、
ひとつずつ言葉にして見ていくことを
繰り返してきた中で、
少しずつできるようになってきた感覚です。
どれかの気持ちだけを優先したり、
なかったことにしたりするのではなく、
いろんなわたしを、ひいきしないで見ていく。
そうすると、
無理に整えなくても、
自分の中で、自然に選べる感覚が
生まれてくることがあります。
👉関連
あわせて読みたい


無理のない、自然な自分
”わたし”と”私” この前、少し遠くまで出かけて、とても楽しい一日を過ごしました。 帰り際、別れるときに、胸のあたりがきゅっとして、「ああ、さみしいな」と思いまし...