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”私”と”わたし”が一緒にいる感覚

もう一つの”私”

楽しかった一日が終わって、
一緒にいた人たちと別れるとき。

帰り道、
なんとも言えない寂しさが残っていました。

「楽しかったな」
「また会いたいな」
「でも終わっちゃったな」

そんなふうに、気持ちが揺れていて。

少し前の私だったら、
この寂しさをどうにかしようとしていたと思います。

「考えすぎかな」
「こんなことで落ち込むなんて」
「切り替えなきゃ」

そんなふうに、
気持ちを整えようとしていました。

でもそのときは、
少し違う感覚がありました。

寂しい気持ちもあるし、
楽しかった余韻もあるし、
まだそこにいたい気持ちもある。

その全部が、同時にあるまま、
「ああ、こういう感じだな」と思えている感覚。

そしてその奥で、

「いいよ、いいよ。
ちゃんと感じてるね。
今、ちゃんと流れてるね」

そんなふうに受け止めている感覚も、
一緒にありました。


自分の家族の言動に、
思わずイライラしてしまったときも、

思うように仕事がうまくいかなくて、
苦しくなったときも、

同じように、

「イライラしてるな」
「悔しいな」
「うまくいかないな」

という“私”の動きと、

それをそのまま見ている“ワタシ”が、
一緒にいる感覚があります。


どちらかを消そうとするわけでもなく、
どちらかを正しいとするわけでもなく、

ただ、そのまま見ている。


これは特別なことではなくて、

いろんな気持ちや感覚を、
ひとつずつ言葉にして見ていくことを
繰り返してきた中で、

少しずつできるようになってきた感覚です。


どれかの気持ちだけを優先したり、
なかったことにしたりするのではなく、

いろんなわたしを、ひいきしないで見ていく。


そうすると、

無理に整えなくても、
自分の中で、自然に選べる感覚が
生まれてくることがあります。

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