最近、家族に関わることで、少し大きな出来事が起きています。
詳しいことは書けないのですが、
それぞれに事情があり、考えがあり、これまでの経緯もあって。
話せば話すほど、
「え? どうしてそうなるの?」
と思うようなことも起きています。
もちろん、私も腹が立ちます。
「それは違うでしょう」と思うこともあるし、
大切な人が大変な思いをしている姿を見て、心が痛むこともあります。
今も、何も解決していません。
だから、
「いろいろあったけれど、今となってはいい経験でした」
という話でもありません。
それなのに。
今回、私は自分の中に、少し不思議な感覚があることに気づきました。
腹は立っているのに、頭の中がぐるぐるしていない。
「あの人は、どうしてあんなことを言ったんだろう」
「あのときの、あれが原因かな」
「今度こう言われたら、こう言い返そう」
そんなふうに、頭の中でもう一度、何度も出来事を繰り返すことが、ほとんどないのです。
怒っていないわけではありません。
我慢しているわけでも、
相手の言うことを受け入れたわけでもありません。
なのに、どこかに余白がある。
どうしてだろう。
そうやって、自分の中を見てみました。
矛盾する気持ちは、どちらも本当かもしれない
私たちは、自分の中に違う気持ちが出てくると、
つい、
「結局、私はどっちなの?」
と考えたくなることがあります。
腹が立つ。
でも、大切に思う気持ちもある。
もう嫌だ。
でも、ここから見えてきたものもある。
悲しい。
でも、少しホッとしている。
離れたい。
でも、大切にしたい。
まるで、どちらかが本音で、
もう片方は間違っているように感じることもあります。
けれど、
どちらも本当だとしたら?
私は、セルフチューニングの中で、
どちらか一方を選ぶのではなく、
自分の中にあるものを、そのまま一緒に見てみることがあります。
「腹が立っているんだね」
で終わらずに。
その隣に、
「悲しい」もあるかもしれない。
「大切にしたい」もあるかもしれない。
「もう背負いたくない」も、
「それでも好き」も、
一緒にあるかもしれない。
一見すると矛盾しているものを、
どちらか消して辻褄を合わせるのではなく、
「どっちもあるんだな」
と、そのまま置いてみます。
「雨降って地固まる」まで、待たなくてもいい?
「雨降って地固まる」という言葉があります。
大変なことが起きたとき、
その最中には、つらさや怒りでいっぱいだったけれど、
しばらく時間が経ってから、
「あの出来事があったから、気づけたこともあったな」
と思えることがあります。
私にも、そんな経験がたくさんあります。
でも今回、ふと思ったのです。
それは、本当に時間が経たなければ見えないものなのかな。
もしかすると、
怒りや悲しみしかなかったところに、
後から別の気持ちが生まれたのではなくて。
最初から、いろいろなものが同時にあったけれど、
強い感情の陰に隠れて、
そのときは見えなかっただけなのかもしれません。
だったら、
雨がやむまで待たなくてもいい。
「もう、なんなの💢」
と思っている私と、
「でも、この出来事の中で、大切なものも見えている」
と感じている私が、
同じ今の中にいてもいい。
今回の私は、まさにそんな状態にいるのだと思います。
出来事そのものは、まだ大変です。
困っていることも変わりません。
それでも私は、この出来事の中で、
家族がお互いを大切に思っていることや、
それぞれが、それぞれのやり方で守ろうとしているものを、
以前よりよく感じています。
腹が立つことと、
それが見えていること。
どちらか一つに決めなくていい。
その両方を持っていられるから、
一つの感情に、自分の視界全部を占領されずにいられるのかもしれません。
感情に振り回されない、ということ
「感情に振り回されない」と聞くと、
いつも冷静でいることや、
怒らなくなることを想像するかもしれません。
でも私は、
少し違うように感じています。
腹が立つなら、腹が立っていい。
悲しいなら、悲しくていい。
その気持ちをなくすのではなく、
それだけが、自分のすべてにならないこと。
自分の中にある、ほかの小さな声も一緒に見えるようになると、
心の中に、少し余白が生まれます。
私は今回のような大きな出来事が起きて、
突然こうなったわけではありません。
日常にある、
「本当は行きたい。でも、今日は休みたい」
「嬉しい。でも、ちょっと寂しい」
「大切。でも、しんどい」
そんな小さな矛盾に出会うたび、
どちらかを消さずに、
自分の中にあるものを見てきました。
その小さなチューニングの積み重ねが、
大きく心が揺れそうなときにも、
一つの感情だけに視界を占領されずにいられることに、
つながっているのかもしれません。
今、見えているものだけが、すべてではない
そして今、もう一つ感じていることがあります。
今回の出来事は、まだ何も解決していません。
この先どうなるのかも、私には分かりません。
それでも、
今、目の前に見えている行き止まりが、
世界のすべてではない。
そんな感覚があります。
それは、
「きっと思いどおりになる」
ということではありません。
相手が変わるかもしれない。
状況が変わるかもしれない。
あるいは、
今はまだ思いついていない選択肢が、
これから見えてくるのかもしれない。
自分自身の「大切にしたいもの」が、
もっとはっきりしてくることだってあるかもしれません。
何が起こるのかは、まだ分からない。
でも、
今見えているものだけで、
「もうどうにもならない」と決めなくてもいい。
そう思える余白があると、
現実に対して取れる次の一手も、
一つではなくなります。
セルフチューニングは、
現実から離れて、
自分の心を整えることではありません。
自分の中にあるものを、
誰も、何も、小さくせずに見ていく。
そうすることで、
今まで見えていなかったものが見えてきたり、
それまで思いつかなかった選択肢が見えてきたりする。
そして、
今の自分にできる次の一手を、
自分で選んで、現実に戻っていく。
私は、そんなふうに使っています。
今起きているこの出来事にも、
きっと、まだ私には見えていないものがあります。
だから今は、
無理に答えを出さず、
無理に前向きにもならず、
腹を立てている私も、
大切なものを感じている私も、
どちらも連れて、
この続きを歩いてみようと思っています。
「どっちが本当?」ではなく、
「どっちもある。」
そして、
今、見えているものだけが、すべてではない。
そこに少し余白を残しておくことも、
人生を動かしていくための
セルフチューニングなのだと思います。
自分の中で何が起きているのか、一緒に見てみませんか
頭ではいろいろ考えているのに、なぜか動けない。
同じことを何度も考えてしまう。
目の前にある選択肢の、どれもしっくりこない。
そんなとき、
まだ見えていない自分の声や、
まだ見えていない選択肢があるのかもしれません。
そら音処の初回相談では、
今起きていることをお聞きしながら、
一緒に整理していきます。