プロフィール

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❮「ここじゃないよ」が消えた❯

私には長い間、 心のどこかに、
「ここじゃないよ。」
という感覚がありました。

何かが足りない。
どこか乾いている。
何かを探している。

それは、
今はきれいに消えてしまいました。


やったのは、
心を軽く扱わず、真剣に見ること。
でも、深刻さだけの中に閉じ込めないこと。

「心」などの、目には見えない難しいことを、
日常の景色に重ねながら、
難しいままにしないで見てきました。


そうして生まれたのが、
今のそら音処で使っている、
いろいろな**「レンズ」**です。

壁にぶつかったとき、
いつもと少し違うレンズで見てみる。

すると、 「ああ、そこにあった。」 と、
今まで見えていなかったものが
見えてくることがあります。

今、私は、
夢中で生きることができています✨


元小学校教師・20年以上。
現在は、カフェとそら音処を営んでいます。


そら音処では、
このレンズを、まず、お貸ししています。

そしていつか、
自分のレンズで自分を見ながら、
自分の「やりたい」を、
現実の中で動かしていけるように。
その道のりを伴走しています。

ヒストリー

ここからは、
そら音処ができるまでのお話です。
もう少し詳しく知りたい方は、どうぞ。

人の内側から湧いてくる力を、
ずっと見てきました。

私は、小さい頃から、
人の心や感覚に興味がありました。

「お姉ちゃんの口と交換したら、
みかんの味は変わるのかな?」

「人って、
何も考えないってできるのかな?」

「気持ちって、
どこから起こってくるのかな?」

「今この人が難しい顔をしてるのは
何でだろう?」

つい、そんなことを
考えている子どもでした。


そしてもうひとつ、
ずっと惹かれてきたものがあります。

人の中から、
「知りたい」
「やってみたい」
「人とつながりたい」
という力が湧いてくる瞬間です。

その力が動き出すと、
人の目は生き生きします。

私は20年以上、
小学校の教師として
子どもたちと過ごす中で、
その姿を何度も見てきました。


一人ひとりの
内側から湧いてくる力が動けると、
本人だけでなく、
その人たちがつくる集団も変わっていく。


私はずっと、そんなことに
惹かれてきたのだと思います。


「ここじゃない」の先を、
探し始めました。

教師として働く中で、
私の中にはいつからか、

「ここじゃない」
という感覚がありました。

教師という仕事が
嫌いだったわけではありません。

子どもたちと関わることも、
人が育っていく姿を見ることも好きでした。

でも、
「この先もずっとここにいる」
という感じが、
どこかしなかったのです。

じゃあ、どこなんだろう。

そう考えたときに浮かんできたのが、
傾聴、共感、対話。
人の心に、もっと直接
関わるような仕事でした。

そんな頃、
「セルフセラピー」を実践されている
恩師に出会いました。
私は教師を続けながら、
そこで学び始めました。

セルフセラピーは、
これまで「〜するべき」で
動くことが多かった私に、
たくさんの「納得」をくれました。

ダメな自分でも、いいんだな。
人には、こういう観念があるんだな。
それには、これまでの育ち方も
関係しているんだな。

私自身も、
自分の中で起きていることが
少しずつわかるようになって、
以前より
自分を大切にできるようになりました。


そして、
「私は、本当はこうしたかったんだ」
と気づき、自分にそれを許すことで、
自分の心地いいものが増えていきました。

学べば学ぶほど、
「私は、これを仕事にしたい」
という気持ちも強くなっていきました。

今振り返れば、
教師としてずっと惹かれてきた
**「人の内側から湧いてくる力」**に、
もっと直接触れる仕事
だったからなのかもしれません。


それでも当時は、
「いつか、できたら」
くらいに思っていました。

ところが、
その「いつか」は突然やってきました。

コロナ禍や、
当時勤めていた学校の状況など、
いくつものことが重なりました。


自分の気持ちだけではなく、
学校にとっても、
このタイミングなのではないか。

そう思えたとき、
「退職するなら、今だ」
と決めました。


そして教師を退職し、
オンラインで心の仕事を始めました。

ずっと「いつか」と思っていた人生が、
本当に動き始めたのです。

心を見ることを、もっと日常の近くへ

オンラインでセラピーを始めて、
ひとつ気づいたことがありました。

自分の心を見ることは、
まだ多くの人にとって、
あまり身近なものではない
ということでした。

何か特別な悩みを抱えた人が、
セラピーやカウンセリングを受ける。

そんなイメージではなく、
自分の心を見ることを、
もっと日常の中に置けないだろうか。

そう考えて始めたのが、
カフェ「いろかふぇ&るうむ」です。

ごはんを食べたり、
コーヒーを飲んだりする
日常のすぐそばに、
自分の心にも少し目を向けられる場所を
つくりたいと思いました。


そしてちょうどその頃、
私自身の中でも、
また新しい問いが動き始めていました。

「私が私を大切にする」と
「周りの人や状況を大切にする」とが
うまく噛み合わなくなっていたのです。



カフェを育てながら、私自身もまた、
自分の心について探し始めました。

「私が私を大切にする」だけでは、
扱いきれない現実がありました。

セルフセラピーによって、
自分の気持ちを
大切にできるようになりました。

「私はこうしたい」と思ったとき、
それを自分に許すことも
できるようになりました。

それは確かに、
私の人生を動かしてくれました。

だからこそ、同時に、
相手には相手の気持ちや人生があることも、
もっと大切にしたいと

思うようになりました。

すると、
現実の中で挑戦することが増えたり、
大切な人の「こうしたい」を
尊重するために、
離れることを選んだりする中で、

「私が私を大切にする」だけでは、
扱いきれないことがある。

そう気づき始めました。


私には私の気持ちがある。
でも、
大切な人には、その人の気持ちがある。

自分の望みを大切にしようとすると、
大切な人を置いていってしまうように
感じることもある。

自分だけでは動かせない現実もある。

頭ではわかっているのに、
心がどうしてもついていかないこともある。



自分を大切にしたい。
でも、

大切な人やもの、
今ある現実も大切にしたい。


そして、
こんなにも自分の心が揺れるのに、
私はセルフセラピーを

仕事にしていいんだろうか。

そう思うようになりました。


セルフセラピーが
間違っていたわけではありません。


それは確かに、私に「納得」をくれ、
人生を動かしてくれました。


でも私には、
その先が必要でした。
「じゃあ、何が足りないんだろう?」

そこからまた、
私の探究が始まりました。


「何が足りないんだろう?」を、
探し続けました。

「じゃあ、何が足りないんだろう?」

そこから私は、
自分の中で起きていることを、
もう一度、
いろいろな角度から見るようになりました。

心のこと。
脳のこと。
身体の感覚のこと。
人との関係のこと。

本を読んだり、学んだり、
日常の中で自分自身を観察したり。

その中で、ときどき、
「あ!そうか!」
と、それまで別々だったものが
自分の中でつながる瞬間がありました。

そして、自分の感覚の中で見つけたものを、
すでにある理論や知識に照らしてみる。

理論から自分を理解しようとするだけではなく、
自分の中で起きたことを、
理論でもう一度確かめてみる。

そんなことを繰り返していきました。


少しずつわかってきたのは、
自分では見ているつもりでも、
見えていないものがたくさんある

ということでした。

特に、
自分のこと。

そして、
自分を少し離れたところから見る目は、
育てていけるということ。



その目で
自分の中で起きていることを見る。

自分をちゃんと見たから、
相手まで見える。
今ある現実も見える。

内側を見ることと、外側を見ることは、
反対方向ではないのです。
自分をちゃんと見ていくことが、
世界を広く見ることにつながっていきました。

そして、**巡り**について
感じられることが多くなりました。


その中で、自分の重心を失わずに、
「今、私はどうしたい?」と選んでいく。

一度決めたら終わりではなく、
何かが起きたら、また見て、また動かす。

私が探していたのは、
そんな生き方だったのかもしれません。


私は今、それを
**「セルフチューニング」**
と呼んでいます。


私自身の人生も、
少しずつ変わりました。

セルフチューニングを続ける中で、
私自身の人生も、
少しずつ変わっていきました。

まず、
人との関わり方が変わりました。

相手に自分の思うように
なってほしいと思うことも減り、

反対に、
自分が誰かに
縛られそうなときには、
相手に誠意をもちながら、
離れたり、断ったり
できるようになりました。

大切な人と一緒に過ごす時間は
以前より少なくなっても、
話すことや、一緒に過ごす時間は、
ずっと濃くなりました。

そして、
人生の動かし方も変わりました。

以前より、
結論を急がなくなりました。

自分のことも、相手のことも、
今ある現実も見ているうちに、
「私は、こっちへ行きたいんだな」
と、自然に見えてくることが増えました。


失敗したときにも、
いつの間にか
**「まあいいか」**
と思えるようになりました。

すると不思議なことに、
あきらめやすくなるのではなく、
以前より粘り強くなりました。


違ったら、またやってみる。
うまくいかなければ、また見てみる。


人と違っていることを、
以前ほど怖がらなくなり、

時間も、体力も、お金も、
自分が本当に大切にしたいものへ
使うことが増えていきました。

そしてもうひとつ、
日々を生きる感覚そのものも、
変わりました。

何か特別なものを
手に入れたわけではないのに、

「ああ、満たされているなあ」

と感じる瞬間が増えました。

何でもない日常の中にあるものを、
そのまま受け取れるような時間です。

それと同時に、
大人になる中で小さくなっていた好奇心も、
また動き始めました。

「なんだろう?」
「やってみたい」
「こっちへ行ったら、どうなるんだろう?」

足りないものを埋めるためではなく、
今あるものを感じながら、
それでも、
まだ知らない方へ動いてみたい。

そんなふうに思うことが、
増えてきました。

人生から、
問題がなくなったわけではありません。

今も揺れるし、迷います。

それでも、
自分を置いていかずに、
またそこから人生を動かせる。

それが、
私自身がセルフチューニングを続ける中で
得てきたもので

「これを届けていく仕事がしたい」と
感じたものです。


**内側から湧いてくる力**を仕事に。

教師だった頃、
私は子どもたちの中にある力を
何度も見てきました。

「知りたい」
「やってみたい」
「人とつながりたい」
「誰かと喜び合いたい」

それは、
誰かに与えられるものではなく、
その人の内側から湧いてくるものでした。

そして、その力が動けると、
本人だけでなく、
その人たちがつくる集団も変わっていく。




私たちは、
大人になるとそれぞれに、
家族をつくり、職場をつくり、
地域をつくり、社会をつくっていきます。

一人ひとりが、
自分の内側から湧いてくるものを
感じながら、
周りの人や現実にも目を向け、
自分を置いていかずに、
人生を動かしていけたら。


大人になることを楽しみにする子どもが、
今より少し増えるかもしれない。

人とつながることを楽しめる人も、
今より少し増えるかもしれない。

私は、そんな社会をつくる一人で
ありたいと思っています。


人の内側から湧いてくる力が、
ちゃんと動けること。

教師だった頃も。
自分自身について考えているときも。
そら音処を始めた今も。

振り返ってみれば、私はずっと、
それを追いかけてきました。

これこそが、
私の内側から湧いてくる好奇心。


だから、私はそら音処を仕事にしています。


そら音処 
小学校教諭として20年以上勤務。
学級担任、特別支援、小中一貫教育などに携わる。
退職後、体と心のチューニング処「いろかふぇ&るうむ」を開き、心に関わる学びと実践を重ねる。
現在は「そら音処」で、個別・少人数のチューニングも行っている。

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