自分の中で、えこひいきをしていませんか。― 心の中の誰かを小さくすると、何が起きるのか ―

学級の中には、いろんな子どもがいる

私は、長い間、小学校の教師をしていました。

その中で、学級をつくるときに大切にしていたことがあります。

一部の子どもだけを見ないこと。

よく発言する子。
頑張っている子。
教師の話をよく聞く子。

そういう、声の聞こえやすい子ばかりを見ていると、
教室のどこかで、
声を聞いてもらえていない子がどうしても出てきます。

そうならないように、
気を付けているつもりではいるのですが、
知らない間にそうなってしまっていることもしばしば。

そんなとき、その子たちは、
大きな声を出したり、反抗したり、暴れたりして、

「ここにいるよ」

と知らせてくれることがあります。

反対に、黙ったり、固まったり、何もしなくなったりして、
サインを出す子もいます。

表れ方は、一人ひとり違います。
けれど教師として学級を見てきて、
私は何度も感じてきました。

みんな、「ここにいるよ」とわかってほしいのだと。

これは、心の中でも同じなのではないかと、
私は思っています。


心の中にも、いろんな「私」がいる

何か新しいことを始めたいとき。

「やってみたい」
と思う自分がいる。

その一方で、
「怖い」
と言っている自分もいるかもしれません。

「失敗したらどうするの?」
「今の生活はどうするの?」
「人にどう思われる?」
そんな声も出てきます。

そのとき、
「怖がっていたら何もできない」
「そんな弱いことを言っていたらダメ」
と、怖がっている自分を黙らせて、前へ進むこともできます。

反対に、

「そんな怖いこと、できるはずがない」
と、「やってみたい」と言っていた自分を
黙らせることもできます。

どちらも、一見すると、自分で決めたことです。

けれど、その決定の中で、

誰か一人だけがえこひいきされて、
ほかの声が教室の隅へ
追いやられてはいないでしょうか。


小さくされた声は、消えたわけではない

「怒らないようにしよう」
「怖がらないようにしよう」
「気にしないようにしよう」
と決めたのに、
また同じところで反応してしまうことがある。

そんなとき、
「またできなかった」
と、その自分を叱って、
さらに「こうしよう」に自分を
コントロールしようとすることもできます。

でも、私は少し違う見方をしてみることも、
時には大事なんじゃないかな、と思います。

「この子は、どうしてこんなに騒いでいるんだろう?」

と。

心理学の研究にも、
こうした見方と重なるところがあります。

たとえば、
感情調整の研究には、
感情をただ抑え込んでなくそうとするのではなく、
感情に関心を向け、受け入れ、その意味を理解し、
自分のほかの側面と統合していく、
**Integrative Emotion Regulation(統合的感情調整)**
という考え方があります。

また、「次はこうしよう」と意志で決めても、
人の反応がその通りに変わるとは限りません。

習慣や、それまでに学習してきた反応、感情、身体の状態、今いる環境など、
いろいろなものが私たちの反応には関わっています。


学級だったら、どうするだろう

もし教室で、一人の子が何度も大きな声を出していたら。

多くの教師は
「静かにしなさい」
と言うのと同時に、
「何があったんだろう?」
と、その子を見ると思います。

もちろん、騒いだ子の言う通りに
学級を動かすわけではありません。

「嫌だ!」と言った子がいたら、全部やめる。
「やりたい!」と言った子がいたら、全部やる。

そんな学級経営では、クラスは動きません。

でも、
声を聞くことと、その声の言う通りにすることは、
別です。

これは、自分の心の中でも同じです。

「怖い」
と聞こえたから、やめなければならないわけではない。

「腹が立つ」
と感じたから、相手に怒りをぶつけなければならないわけでもない。

「やりたい」
と思ったから、何も考えずに飛び出せばいいわけでもありません。

まず、
「怖いんだね」
「腹が立っているんだね」
「それでも、やってみたいんだね」
と、それぞれが持ってきたものを見る。

そして、相手のことも、今ある現実も見ながら、
「じゃあ、今、私はどうしたい?」
と、一人の人として決めていく。

私は、自分の中のこの状態のことを
**「協働」**と呼んでいます。


自分の中の誰かを小さくしたままでも、進めてしまう

ここが、少し厄介なところです。

自分の中の誰かを無視したからといって、
その場ですぐに動けなくなるわけではありません。
むしろ、その方が進めてしまうんです。

まるで何かを訴えている子どもを
「静かにしなさい。」と一喝して抑えたら、
そのときの授業はスムーズに進んでいくように。

怖さを押し込めて、頑張る。
嫌だという気持ちを飲み込んで、引き受ける。
悲しむ暇もなく、次へ行く。
「本当はこうしたい」を置いて、「こうするべき」で生活を回す。

仕事もできる。
家族とも暮らせる。
周りから見れば、ちゃんとしている。

それでも、どこかで、
「どうして、こんなに苦しいんだろう」
「自分で選んだはずなのに、しっくりこない」
「やりたいはずなのに、動けない」
「何がしたいのか、分からなくなった」

ということが起きてくる。

そのすべてが、「聞かなかった声」が
原因だとは言えません。

人が苦しくなる理由には、
環境や人間関係、身体の状態など、たくさんのものが関わります。

それでも私は、
自分の中で、ずっと声を聞いてもらえていない「誰か」はいないだろうか。
と、一度見てみる価値はあると思っています。


心のことを、難しいままにしない

心の中で起きていることは、心理学では、
さまざまな言葉で研究されています。

でも、そら音処では、難しい言葉を覚えることから始めません。
学級の中で。
家族との会話で。
仕事で迷ったときに。
スノーボードで転んだときに。

私たちの毎日の中にある景色を使って、

「じゃあ、私の中では今、何が起きている?」
と見ていきます。

難しい心の仕組みを、暮らしの言葉に。
暮らしの言葉から、自分の内側へ。

そして、そこで見つけたものを、
また自分の人生を動かすところへ持って帰る。

今日は、
教師時代の学級経営の景色を使って、
心の中で起こっていることを見てみました。

そら音処のセルフチューニングは、
自分の中から「困った子」を
いなくするためのものではありません。

騒いでいる子も。
怖がっている子も。
立ち止まっている子も。
前へ行きたくて仕方がない子も。

誰かをえこひいきして、誰かを小さくするのではなく、
それぞれが持ってきたものを、ちゃんと次の選択に参加させる。

そのうえで、
「今、私はどうしたい?」
と、自分で答えていく。

それが、そら音処で大切にしている「協働」です。