同じ言葉なのに、なぜこの人から言われると腹が立つの?―「出来事」と「受け取り方」のあいだにあるもの―

「今日は早いね」

たったそれだけの言葉なのに、

ある人に言われたら、
「気づいてくれたんだ」と思う。

でも、苦手な人に言われたら、

「何? 嫌味?」
「いつも遅いって言いたいの?」

と、ムッとしてしまう。

あとになって冷静に考えると、

「……そんなこと、ひと言も言われてないんだけどな」

と気づくこともあります。

では、同じ言葉なのに、
どうしてこんなに違って聞こえるのでしょう。

私たちは、出来事をそのまま受け取っているわけではない

心理学には、**「スキーマ」**という考え方があります。

これまでの経験などを通してつくられ、
物事を理解したり解釈したりするときの枠組みとなるものです。

たとえば、ある人との間で、

「前にも嫌なことを言われた」
「この人といると傷つくことが多い」

という経験が重なっていたとします。

すると、次にその人から何か言われたときにも、
それまでの経験が、今の言葉の受け取り方に影響することがあります。

つまり私たちは、

「今、目の前で起きていること」だけを見ているとは限らない。

過去の経験や記憶、その人についてすでに持っているイメージなども一緒に使いながら、目の前の出来事を理解しています。

曖昧なものほど、「受け取り方」が入りやすい

「今日は早いね」

という言葉だけでは、

褒めたのか。
驚いただけなのか。
嫌味なのか。

本当のところはわかりません。

こうした曖昧な情報を、ある方向へ偏って意味づけしやすくなることは、心理学で**「解釈バイアス」**として研究されています。

ここで大切なのは、

実際に言われたことと、
自分が受け取った意味は、同じとは限らない

ということです。

「今日は早いね」と言われた。

これは、起きたこと。

「いつも遅いって責められた」

これは、自分がそこから受け取った意味かもしれない。

もちろん、本当に嫌味だった可能性だってあります。

だから、

「あなたの受け取り方が間違っています」

という話ではありません。

ただ、

出来事と、自分がそこから受け取ったものの間には、少しだけ見てみる余地がある。

ということです。

「考えすぎないようにしよう」では、変わらないこともある

では、

「嫌味だと決めつけないようにしよう」

と思えばいいのでしょうか。

人の心は、それほど単純ではないようです。

これまでの経験からつくられてきた捉え方は、本人が意識していなくても、今の出来事の解釈に影響することがあります。

だから、

「悪く考えないようにしよう」

と自分に言い聞かせるより、

「私は今、何を言われたんだろう」
「そして、それを私はどう受け取ったんだろう」

と分けて見てみる。

すると、

「私はこの人の言葉を、いつも『責められている』と受け取っていたんだ」

など、それまで見えていなかった自分の受け取り方が見えてくることがあります。

見えていなかったものが見えると、選択肢が増える

そら音処で大切にしているのも、
すぐに「正しい受け取り方」へ直すことではありません。

まず、

自分の中で、何が起きているのかを見ること。

腹が立った。
悲しかった。
責められたように感じた。

それを小さくせずに見ながら、

実際に起きたことと、
自分の中で起きたことを、少しずつ見ていく。

すると、

「相手が悪い」
「私が悪い」

という二つだけではなかったものが、
見えてくることがあります。

見えていなかったものが見えることで、
それまでとは違う選択肢が生まれることがある。

そら音処では、そんなふうに、
今その人に起きている出来事から一緒に見ていきます。

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