心のことを真剣に扱うことと、深刻になることは同じじゃない

少し前、ある人との関わり方について考えていました。

その人が大切だから、怖い。
止めたい気持ちもある。
でも、その人の人生を縛りたくはない。

どちらかが間違っているわけではないのに、
両方を持っていると、とても苦しい。

そんな矛盾をどうしたらいいのか考えていたとき、
私は、クリシュナムルティの「苦しみを避けずに観察する」
という考え方に出会いました。

クリシュナムルティというのは、
インド出身の精神的哲人・思想家です。

とても真剣な話です。

ところが、
その考えを自分の暮らしの中に下ろしていった先で、
私の中に残ったものの一つが、

「どっちなんだい?」

でした。

なかやまきんに君**💪**の、あの声です。

そして、
どっちもあるなら、それでいい。
どっちなんだい?万歳だ!
そんな、なんとも可笑しな言葉になりました。

自分でも、
「クリシュナムルティから、ここに来るのか……😳」
と思います。

でも最近、これは案外、
そら音処にとって大事なことなのかもしれない
と思うようになりました。

笑ったから、苦しさがなくなったわけではない

「**💪**どっちなんだい?万歳🙌」
と言えるようになったからといって、
怖さがなくなったわけではありません。

大切な人に生きていてほしい。
だから怖い。

でも、怖さを理由に、
その人の人生を自分の思う方向へ動かしたくはない。

どちらも、本当に自分の中にありました。

どちらかをポジティブなものに
置き換えたわけでもありません。

ただ、
両方ある。
それを、そのまま持てるようになった。

そしていつの間にか、その後も
自分の中の矛盾を扱う言葉が、
「**💪**どっちなんだい?万歳🙌」
になっていました。

ユーモアには、「もう一つの見え方」をつくる働きがあるらしい

気になって、笑いやユーモアについて調べてみました。

心理学には、
つらい出来事や不快な出来事を、
ユーモラスな角度から捉え直す「ユーモアによる再評価」
という研究があります。

そこで扱われているユーモアは、
ただ気を紛らわせたり、問題をなかったことにしたりするものとは
少し違います。

困難そのものには触れたまま、
そこに別の見え方が入ってくる。

そんな働きが研究されています。

また、ユーモアについての研究には、
「まずい」と「大丈夫」が同時にある
という、とてもおもしろい考え方もあります。

「まずい」を「大丈夫」に塗り替えるのではなく、
まずい。
でも、大丈夫でもある。
一見矛盾する二つが、同時に存在する。

さらに、ユーモアには心理的な距離も関係していて、
「飲み込まれてはいないけれど、切り離されてもいない」
そんな位置が関係することもあるそうです。

これを知ったとき、
「ああ。だから、あんな言葉**💪**になったのかもしれない」
と思いました。

深刻さだけが、世界の全部にならないように

もちろん、
「つらいときこそ笑おう」
と言いたいわけではありません。

笑えば苦しみが消えるわけでもないし、
何でも明るく考えればいいわけでもない。

誰かの痛みを冗談にして、小さくすることとも違います。

研究でも、
ユーモアなら何でも同じように働くわけではなく、
人を傷つける笑いや、自分を過度に貶める笑い、
問題から目をそらすための笑いなどは
区別されています。

そら音処が大切にしているのは、

誰も何も小さくしないこと。

悲しいなら、悲しい。
怖いなら、怖い。
真剣なら、真剣。

それを無理に笑いへ変えなくていい。

でも――

可笑しいなら、その可笑しさまで小さくしなくていい。

悲しみを小さくしない。
怖さを小さくしない。
真面目さも小さくしない。

そして、

可笑しさまで、小さくしない。

そうすると、深刻な出来事が軽くなるというより、
「深刻さだけが、世界の全部ではない」
という、もう一つの見え方が入ってくることがあります。

これは、
笑いやユーモアについて調べながら、
これまで自分の中で起きてきたことを見直したときに、

「ああ、そういうことだったのかもしれない」
と、今の私に見えてきたものです。

心のことを、やさしく、おもしろく、日常へ

心のことは、目には見えません。

真剣に見ようとすればするほど、
難しい言葉にもなります。

でも私は、それを難しいままにしておきたくない。

日々の暮らしの中に下ろして、
「あ、これか」
と、自分で触れられるものにしたい。

だから、私の中には、

「レンズ」があったり、
「森」があったり、
「おばけ👻」が出てきたり、
スノーボードで斜面を滑ったり、

ときには、
💪どっちなんだい?万歳🙌
まで出てきます。

心を軽く扱いたいからではありません。
むしろ、
心のことを、ちゃんと見たいから。

真剣なものを、深刻さだけの中へ閉じ込めないために。

そら音処のレンズにも、それが流れています。

心のことを、難しいままにしない。
やさしく、おもしろく、日常へ。

※笑い・ユーモアについては、心理学の「ユーモアによる再評価」「心理的距離」「共有された笑い」などの研究を参考にしています。