大人になっても、「横断歩道ゲーム」しちゃうんですよね― 自分でつくった「こうしなきゃ」に気づくレンズ ―

子どもの頃、横断歩道を渡りながら、
「白いところしか踏んじゃダメ!」
って、やったことありませんか?

白から白へ。
ちょっと遠くても、がんばって足を伸ばして。
「あっ、黒いところ踏んじゃった!」
となったら、なんだか失敗したような気がする。

誰かに決められたわけでもないのに、
自分でルールをつくって、
一生懸命その通りに歩く。

私はこれを、
「横断歩道ゲーム」
と呼んでいます。

大人になると、
横断歩道の白いところだけを選んで歩くことは
私は、たまにしかしなくなりました。

でも。替わりに、
「断っちゃダメ」
「愛想よくしなくちゃ」
「期待に応えなくちゃ」
「寛大な自分でいなくちゃ」
「途中でやめちゃダメ」
「ちゃんとした理由がないと、断っちゃダメ」

……。

あれ?

私たち、
大人になっても案外、
「白いところだけを踏もうとするゲーム」
を、一生懸命やっていることがあります。

「普通はこう」が、横断歩道になっていることもある

こういう、

「こうするべき」
「こうしちゃいけない」
「普通はこうするもの」

という、自分の中にあるルールを、
心理の言葉では「観念」と呼ぶことがあります。

観念そのものが、悪いわけではありません。

私たちは、
家族との暮らしや、
学校や仕事、
人との関わり、
これまでのいろいろな経験の中で、
たくさんの「こうした方がいい」を身につけながら生きています。

それがあるから、
人と一緒に暮らせることもあるし、
自分を守ってこられたこともあります。

ただ。
いつの間にか、
「白いところしか、歩いちゃいけない」
みたいになっていることがある。

本当は帰りたいのに、
「自分から『帰ろう』って言ったら、感じ悪いかな」
と、なかなか言えない。

本当は断りたいのに、
「ちゃんとした理由がないと断っちゃいけない」
と、一生懸命理由を探す。

腹が立っているのに、
「これくらいのことで怒るなんて、大人げない」
と、なかったことにする。

そんなとき、
「どうして私は、こんなにしんどいんだろう?」
と思ったら。

もしかすると、
一生懸命、

横断歩道ゲームをしているのかもしれません。

黒を踏めばいい、という話ではありません

横断歩道ゲームに気づいたからといって、
「じゃあ、全部反対のことをしよう!」
という話ではありません。

「断っちゃダメ」があったからといって、
何でも断ればいいわけではない。

「人に迷惑をかけちゃダメ」があったからといって、
人への配慮なんていらない、ということでもない。

ただ、
「あ。私、今ここを『白しか踏んじゃダメ』にしてるんだ」
と気づいてみる。

それだけで、
「本当に、ここは白しかダメ?」
と、少し違う角度から見られることがあります。

白を踏むのか。
今日は黒も踏んでみるのか。

それとも、
この横断歩道ではない道を歩くのか。

気づいて初めて、
選べることがあります。

あなたの「横断歩道ゲーム」は?

最近、
「なんで私、こうなるんだろう?」
と思ったことがあったら、

その中に、

「○○しなくちゃ」
「○○しちゃダメ」
「普通は○○でしょう」

が隠れていないか、
ちょっと探してみてください。

それはもしかしたら、
ずっと当たり前すぎて、
ルールだということにも気づかなかった、
あなたの「横断歩道ゲーム」かもしれません。

見つかったら、
「あった🤣」
くらいでも大丈夫。

なくそうとしなくても、
すぐに黒を踏めなくてもいい。

まずは、
「私、こんなルールの上を歩いてたんだ」
と見えること。

そこから、
自分の歩き方を選び直せることがあります。

そら音処では、こんなふうに、
目には見えない心の中で起きていることを、
日常の景色に重ねながら見ています。

心のことを、難しいままにしない。
やさしく、おもしろく、日常へ。